大衆は分かりやすいものを好み、ブルジョワは分かりにくいものを好む
文化社会学や芸術評論において非常によく語られるテーマで、単に好みの違いだけではなく、社会的な階級、自己表現、文化資本という概念と深く結びついている。フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、1979年の著書『ディスタンクシオン』の中で、人の「センス(好み)」は生まれ育った環境や教育によって身につく文化資本によって決定されると説いた。
ブルジョワとは、中世ヨーロッパの都市で主として商工業に従事した市民のことを指す言葉だが、 近代資本主義社会では資本家階級に属する人や生産手段を有する人、または単なる金持ちを指す場合もある。
ブルジョワの心理は、「自分たちは大衆とは違う特別な存在である」ということを示したいという欲求から、ポップス、ハリウッド映画のように誰にでも分かる商業的なものよりも、現代アートやクラシック音楽、複雑な哲学のような「学習や文脈の理解が必要で分かりにくいもの」に興味・関心がある。
ブルジョワが好む「分かりにくさ」は、ある意味では会員制クラブの入会条件のような機能を持ち、「歴史の文脈」「哲学的な背景」「高度な技法」という文脈を知らないと理解できないものが多く、文脈を共有している人だけに伝わる面白さを解することで、ブルジョワ同士の連帯感が生まれ、大衆を排除する境界線が作られる。
他方、アメリカの社会学者C・W・ミルズによると、大衆は権威からの自律性をまったくもっておらず、マス・メディアの内容を受け取るだけの存在であるとした。
大衆は、伝統的な文化や規範から解放され、共通の目標、信念、価値をもたない人々からなる集合体として特徴づけられ、仲間意識、一体感などを欠くため、社会心理的には情緒的不安をもち、支配されやすいという特質ある。また、政治の主体から客体に転化し、エリートに支配される非エリートとして位置づけられ、権力、組織機構、さらには人間から疎外され、不安感、孤独感をもつ無気力な「孤独な群集」としてとらえられる。
大衆は、マイナスのイメージで意味づけられることが多く、その典型がファシズムの理論である。大衆は愚民とほぼ同義とし、先天的に決定能力や統制力を欠き、非合理的、情動的な存在であって、支配される階級で、食べることと娯楽以外の何ものも望むものではない無価値な存在とされた。
反対に、大衆をプラスのシンボルとしてとらえるのがマルクス主義である。大衆は歴史を創造する主体者としての人民とほぼ同義に意味づけられ、労働を通して社会を発展させる働く人々の大多数からなる生産的大衆と位置づけられる。
大衆の心理は、日常の労働や生活で自由な時間が少ないことから、娯楽には「直感的な楽しさ」「即効性のある感動」「カタルシス」を求め、解釈に時間がかかるものよりも、分かりやすいものや感情移入しやすいベタなストーリーを好む。
クラシック音楽は、中世から近世にかけて教会や王侯貴族の庇護のもとに発展。18世紀後半から19世紀にかけての産業革命以降、ブルジョワがパトロンや聴衆の中心となり、高度な作曲技術、楽譜による緻密な記譜、そして複雑な構成美を重んじ、聴き手には知的な集中や教養が求められる傾向があるのに対し、ポップミュージックは19世紀後半から20世紀にかけて、ラジオ、レコードなどメディアの発展とともに普及し、誰もがすぐに理解できる親しみやすいメロディ、リズムの反復、そして何よりも「共感」や「時代の空気」を捉えることが大切とされる。
ブルジョワが好む高級ブランドの服は、上質な素材、独創的なデザイン、熟練された技術によって生み出され、ブランドの持つ歴史やポスピタリティーなど、さまざまな付加価値もあいまって、非常に高価だが、それらを身に付けるということは、その価値が分かるという記号を纏っているということがいえる。
ファストファッションブランドのような大衆向けの服は、高級ブランドのそれと同じようなデザインのものが安価で購入でき、素材や縫製、ディテールなどに違いはあるものの、そこに拘らない人にとっては魅力的だ。また、店舗に行かずともオンラインで手軽に購入できるという点も、前述のとおり大衆向けであるということがいえる。
店の立地や作りにも違いがあり、大衆向けは繁華街やショッピングセンターなどの沢山の人が集まる場所で、目立つ大きな看板を掲げ、開放的で入店しやすく、店頭のメニューや価格も誰にでも分かりやすく表示されている。高級な店は、繁華街から少し離れた場所にあり、一見すると何の店が分からない外観や閉鎖的なファサードが多い。これらの特徴は、「分かりにくい店を知っている」というブルジョワの好みの沿ったもので、しっかりとした接客と客の側にも相応のマナーが要求される。
幹線道路沿いに店を構える大手回転寿司チェーンと、繁華街から少し外れにある高級寿司店の違いはとても分かりやすく、大手回転寿司チェーン店は、外からどんなメニューで価格が幾らかといった情報が分かるようになっていて、店内では目の前にすでに出来上がった寿司が廻っている。注文は画像付きのダブレットを使い、人を会さずオンラインで注文する上に、寿司を握る職人の姿すらない。
高級寿司店の場合、外から中を伺い知ることは出来ず、店内にはメニューもなく、価格表すらない。強面の職人に自ら直接オーダーするシステムは、その店のルールやマナーを知らない人は入りづらい。しかし、それこそがブルジョワの嗜好を満足されるもので、その「分かりづらい」を分かるという心理が満足度を高めるのだ。
冒頭のピエール・ブルデューによれば、これらの文化資本は再生産化され、親から子へと受け継がれ、恒久化する傾向にあるという。これらのことは単にそれぞれの階級による嗜好の違いというだけでなく、その嗜好が結果的にその人の将来の所得や生活水準の違いに結び付いているという点にある。
大工の子は大工に、医者の子は医者になることが多いように、文化資本は単なる好みの問題という以上に、人の将来を決定づけるものになっており、ブルジョワは金銭的に豊かであることで、値段で判断する必要がないために、その本質を捉えることができる。
20世紀以降、大衆はマスメディアにより情報の受動的な受け手として形成され、価値観や行動、世論が大きく影響を受けており、それらは資本家であるブルジョワらによってコントロールされている。大衆は自分で選んでいるつもりでも、実際には選ばされているに過ぎないのだ。

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