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執筆者の写真ノグチユウイチロウ

ハンナ・アーレント

ハンナ・アーレント(1906-1975)は、ドイツ出身の政治哲学者で思想家で、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人の女性です。代表作『全体主機の起源』(1951)で、ナチズムとスターリニズムなど全体主義の本質と危険性について明らかにしたことで知られています。


『全体主義の起源』は、全体主義を生み出す大衆社会の分析を行った本で、全体主義とは「個人よりも全体の利益を優先する」という理念の元、個人が政府に異を唱えることを禁ずる思想・政治体制のことです。具体例としては、ナチスドイツやファシストイタリアなどが挙げられ、近代のマスコミュニケーションと兵器の技術進歩によって可能となったとされています。


1960年代初頭、何百万人ものユダヤ人を強制収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが逃亡先で逮捕されたことを受け、アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立会い、1963年、ニューヨーカー誌に『エルサレムのアイヒマン』というレポートを発表。その衝撃的な内容は大論争を巻き起こすことに。「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンの「悪の凡庸さ」を主張し続けたアーレント。


イェール大学のスタンレー・ミルグラム(1933-1984)は、アイヒマンのように、権威者の指示に従ってしまう人間の心理を調べるため、権威の下にある一般人の服従の心理を最初に実験で検証。1961年にアイヒマンの裁判が始まった1年後から開始。ミルグラムの実験では、閉鎖的な状況で権威者の指示で執行を促されたとき、人はどこまで服従し、他人に電気ショックを与えられるのかというもので、この実験の被験者が最後までボタンを押す確率は、65パーセントでした。1974年以降、ミルグラムはボタンの数を30個から10個に減らして実験を続けた結果、その確率は85パーセントにまで上昇。


かつてナチスの組織下で、数百万人ものユダヤ人を虐殺したホロコーストの責任者アイヒマンでさえ、その人物像は、人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む、一介の平凡で小心な公務員だったといわれていてます。彼は無責任にも、下された命令が誰の生命を奪うかなど考えもせず、無抵抗に命令に従い、忠実に遂行することだけに腐心した、極めて凡庸な人間だった。裁判で紋切り型の官僚用語を繰り返すばかりのアイヒマンを見て、アーレントは『話す能力の不足が考える能力、誰か他の人の立場に立って考える能力の不足と密接に結びついていることは明らかだった』と判断し、アイヒマンは悪魔ではなく、考える能力のない凡庸な男にすぎないと断定し、『思考しなければ、どんな犯罪を犯すことも可能になる』と結論付けたのです。


戦後の日本を代表する銅版画家・彫刻家、浜田知明(1917-2019)の『ボタン(B)』という作品では、横一列に並んだ三人の男が右から順にボタンを押して指令を下していきます。頭に袋を被せられ、考えることを奪われた最後の男が反射的に行った動作は、もはや何のボタンを押しているのかも分からないといったものです。


1987年に公開された「ハンバーガーヒル」という映画は、ベトナム戦争の悲惨で過酷な真実を徹底したリアリズムで描写したものですが、そこで描かれていたのは、丘の上を占拠するためにお互いに殺し合う兵士たちの姿です。その映画を途中から見た私には、誰のために、何のために、人間同士が殺し合わなければいけないのか分からず、まさに不毛な戦いを見ているようでした。


今、ウクライナで行われている戦争でも、ロシア人兵士もウクライナ人兵士も、お互いに相手に対して元々は個人的な恨みなどは持っていないはずです。国から命令され、その命令を真っ当しているに過ぎません。もし、お互いの兵士が命令に背いて、戦場に行かなかったらどうなっていたでしょう。もし、そうなった場合、プーチンは自らの手で、ミサイルのボタンを押すことができたのでしょうか。そのプーチンもまた、国という全体の利益を考えた結果、侵攻という判断を下したのではないでしょうか。


1958年に出版された『人間の条件』でアーレントは、人間の営みを「労働・仕事・活動」に分け、「労働」は生命を維持するための営み。「仕事」は耐久性のある物を製作し、それを通じて人間世界を創造する営み。「活動」は他者との共同行為、特に言葉を用いたコミュニケーションとしています。


私たちは「どのような職業に就くか」、「どんな会社に勤めるのか」、「どれだけ収入があるのか」、といった「労働」ばかり関心を持っています。反対に「活動」は公共的な対話という意義を失って、単なる私的なおしゃべりになっていて、「難しいことは偉い人に任せておけば良い」という風潮がますます強くなっているように感じます。「活動」の衰退は多様性や公共性の衰退に繋がり、最終的には全体主義の出現と結びつくとアーレントは警告しています。


本来、「労働」は個人が生きるために必要最低限あれば良かったはずが、いつの間にか「労働」のために生きるようになり、個人よりも社会全体を優先するべきといった思想が、いつしか全体主義へと変容していく。このようなことは決して過去の歴史ではなく、現代でも起こり得ることで、それは独裁者の登場によって突然生まれるのではなく、人々の無関心から徐々に社会に芽生えていくのではないでしょうか。


アーレントの思想は、現代社会でも重要な意味を持ち続けています。彼女が説いた「思考の重要性」や「公共領域の必要性」は、今日の複雑な社会問題を考える上で貴重な視点となっています。その哲学は、私たちに「考えること」と「行動すること」の大切さを教えてくれます。彼女の思想を学ぶことは、より良い社会を作るための重要な一歩となるはずです。



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