ポストモダニズム
- Yuichiro Noguchi

- 9月21日
- 読了時間: 6分
更新日:9月28日
Memphis Milano (メンフィス・ミラノ)は1981年に結成された多国籍からなるデザイナー集団で、1980年代前半にイタリアを中心に世界のデザイン・建築に影響を及ぼしました。またデザインにおけるポストモダンの代表としても一世を風靡。 グループの中心人物は、イタリアの建築家でインダストリアルデザイナーのエットレ・ソットサス。
1980年12月11日の夜。若いデザイナーや建築家たちがエットレ・ソットサスのリビングルームに集まって、「メンフィス」が誕生。メンフィスという名前は、エットレ・ソットサスのお気に入りの1曲だったボブ・ディランの「Stuck Inside of Mobile with Memphis Blues Again」という曲からの拝借したもの。その数日後に発表されたコレクションは、エットレ・ソットサス、アルド・チビック、マッテオ・トゥン、マルコ・ザニーニ、マルティーヌ・ベディン、ミケーレ・ドゥ・ルッキ、ナタリー・デュ・パスキエ、ジョージ・ソウデンのドローイングによって、数ヶ月かけて形づくられます。
1981年9月のミラノ・サローネでの第一回展覧会では、当時の主流であった機能性や合理性を重視したモダニズムのスタイルとは大きく異なるデザインを発表。既成概念を打ち破る、カラフルで独創的な作品は高く評価され、世界に衝撃を与えます。メンフィスは、当時の主流であった機能性や合理性を重視したスタイルとは真逆のデザインをおこない、カラフルで複雑な造形表現で、見た目にインパクトのあるものが多かった。クライアントからの制約なしに、つくりたいものをつくるといったスタンスだったため、商業的には成功とはいえなかったが、建築インテリア業界のみならず、ファッション業界にも多大な影響を与えました。
メンフィスのデザインは機能性だけでなく象徴的であり詩的で感情的な価値を持つことを目指し、さらにポップとクラシシズム、ハイカルチャーポピュラーカルチャーが融合し、キッチュとエレガンスの間の美学を形成していました。アートとクラフトの融合を目指し、感情的なデザインを重視しマーケティングを超えたデザインの可能性を探求。これにより高い感情的価値を持つ製品を生み出しつづけ世界で高い評価を得ることになります。
メンフィスが活動した80年代は、カリフォルニアが新しい世代には羨望の的で、60年代以降のヒッピー文化はまだ残っており、反逆精神やカジュアルなスタイルが好まれていました。スティーブ・ジョブズがマッキントッシュ・コンピューターを立ち上げ、巨人IBMと闘い始めようとしていた頃、家具分野でメンフィスは同じ方向を見ていました。ポストモダン(ポストモダニズム)とは、20世紀中頃から広まった思想運動で、近代の枠組みを批判・脱却しようとするものです。哲学、芸術、建築などで影響を持ち、客観的真理や普遍的価値を疑い相対主義や多元主義を特徴とします。メンフィスはイタリアンモダンデザインの歴史の中で重要な位置づけをされ、ポストモダンを代表するデザインともなりました。
メンフィスは80年から10年近く、近代デザインの元祖とも呼ばれるドイツのバウハウスの流れをくむ工業的なデザインと戦い、新しい世界を築いてきた。60年代以降のポップカルチャーの系譜にある新しい表現を探る運動でもあり、機能を重視しない、幾何学的でカラフルな家具や雑貨を発表し続け、1988年のグループ解消後も、その活動は世界中のデザイナーにインスピレーションを与え続けています。
広義の芸術において、ポストモダニズムという言葉が用いられた最初期の例がチャールズ・ジェンクスによる『ポストモダニズムの建築言語』(1977)になります。ただし、ジェンクスの著作はモダニズム建築にかわる代替案を提示したものであり、上記のような意味での「近代(モダン)」に対する批判という側面はさほど強くありません。冒頭で整理したような意味での「ポストモダニズム」が強く喧伝されるようになったのは、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(1979)以降です。同書の中でリオタールが述べるところによれば、これまでの科学はみずからを正当化するために「大きな物語」としての哲学を必要としており、リオタールは、このような「大きな物語」に準拠していた時代を「モダン」、そしてそれに対する不信感が蔓延した時代を「ポストモダン」と呼んでいます。したがってリオタールの定義によれば、ポストモダンとはこうした科学の基礎づけとしての「大きな物語」が失われた時代だということになります。
しかし、80年代以降、「ポストモダン」「ポストモダニズム」は一種の標語と化し、新奇なものに対して与えられる肯定ないし否定のためのレッテルと化してしまったという側面があり、今日においてもなお、「ポストモダン」という言葉によって人々が想定しているもの、つまりそこで前提とされている「モダン」の内実が著しく異なっているという状況はしばしば見受けられます。リオタール自身、こうした状況に鑑みて、かつて自身が用いた「ポストモダン」という言葉が大きな誤解を引き起こしたことを自覚し、「ポストモダニズム」とは「モダニズムを書き直す」ことだと言い直しています。少なくとも、「ポストモダン」とはたんなる時代区分を示す用語ではなく、つねに「モダン」との緊張関係にある認識論的な概念だという点は意識しておく必要があるでしょう。
「装飾と犯罪」とは、建築家アドルフ・ロースの有名なエッセイです。モダニズムの建築は、この刺激的なエッセイとともに、これまでの様式建築から離れ、自らのスタイルを歩み始めたとされています。美術史家クレメント・グリーンバーグはモダニズム芸術運動の本質を「自己批評性」にあるとしました。例えば絵画は、モダニズムにおいて自らの固有性をその「平面性」に見出し、題材を描くという模倣から離れ、いわば「絵画そのものの表現」としての抽象表現にたどり着きました。これに倣うように、建築もまた、自らの固有性をその「構築」に見出し、その過程で装飾は非本質として失われていきます。こうした歴史を考えれば、あの時代に建築が装飾を捨てたのは必然ともいえるでしょう。しかし、装飾は、モダニズム以降、いわば建築の付加物として扱われてきたが、建築において装飾は最初に目にするもので、きわめて重要な要素です。
「人間において最も深遠なるもの、それは皮膚である」
ポール・ヴァレリー
フランスの詩人であるポール・ヴァレリーの言葉で、「人間の表面、つまり皮膚が、内面への入り口となる」という意味合いを持っています。皮膚という物理的な表面を深く探求することで、より本質的な部分に辿り着くことができるという、人間の深層へのアプローチを示唆する言葉として使われます。
構造主義によれば、「現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法をとりだすことができ、各システムはそれにしたがって作用する。そこでは、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまうのである。」これによりあらゆる価値観がフラットになった時代では、建築はむしろ「装飾しないこと」から自由になることが必然となります。20世紀初頭のアドルフ・ロース「装飾と犯罪」から100年余りが経ち、近年のポストモダニズムやメンフィスの再評価といった流れは、装飾やデザインについての新しい解釈と共に、近代主義に対する新たな思想が生まれる狼煙なのかもしれません。

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