地方活性化に必要な条件
- Yuichiro Noguchi

- 10月12日
- 読了時間: 7分
AIによると、“「地方活性化」とは、地方における経済、社会、文化活動を活発化させ、地域の魅力を高め、持続可能な発展を目指す取り組みです。具体的な活動としては、特産品販売や観光振興、イベント開催、地域資源の活用、デジタル技術の導入などが挙げられます。これは、人口減少と東京一極集中という日本が抱える課題に対処し、地方に仕事や住環境を創出し、関係人口を増やすための重要な施策です。”とのこと。
具体的な取り組み例
観光振興:
地域の歴史や文化、自然などを活用し、観光客誘致のためのイベント開催や体験型コンテンツの提供を行う。
地域資源の活用:
地元の特産品や伝統工芸品などのブランド化、販路拡大、新しいビジネスの創出などに取り組む。
地域コミュニティの強化:
住民同士の交流を深め、地域活動への意欲を高めるためのイベントやワークショップの開催、情報発信の強化。
デジタル技術の活用:
VR/ARによる体験型サービスの提供、行政手続きのオンライン化、データ活用による公共サービスの向上など、デジタル技術を活用して地域課題の解決や利便性向上を図る。
関係人口の創出:
移住定住だけでなく、地域に継続的に関わり、応援してくれる「関係人口」を増やすことで、観光消費や情報発信、人的ネットワークの拡大につなげる。
産官学連携・多様な主体の協力:
行政だけでなく、企業、NPO、大学、住民など多様な主体が連携・協働し、それぞれの知見やノウハウを持ち寄って協力して取り組む。
以上がAIによる地方活性化の概要です。
私がかつてアメリカ・ニューヨークへ行った時、1週間程度の滞在だったと思いますが、あるレストランで店員さんが他のローカルと同じように気軽に話しかけてくれました。大して英語は話せたわけではなかったのですが、その時の雰囲気がとても居心地がよく、外国から来て、言葉も文化も違う日本人である私に、何の偏見もなく、普通にこの街で暮らしているかのように接してくれたことが、"この街にこのまま住み続けたいな"と思う出来事でした。
「なるほど、私みたいに少し滞在しただけでも、こんなに居心地がよく感じるのだから、みんなニューヨークに住みたがるのだ。」だから、ニューヨークは世界でもっともエキサイティングで、新しいカルチャーが次々と生まれ、さらに、いろんな国の人がニューヨークに集まってきて、"人種のるつぼ"といわれるなり、さまざまな人と文化が共存することで、より魅力的で多様性に富んだ街がつくられるのだと気づきました。
東京にも色んな地方から人が集まっています。ニューヨークほどではありませんが、東京は日本で最も多様性に富んだ都市だと思います。その後、地元へ戻った時に、地方へ行けば行くほど、排他的で地元で生まれた人以外がいないことに気づきました。そして、県外から移住してきた人が口を揃えていうのは、地元のコミュニティーに入っていきづらいという声です。また、地方の中でも都心部と農村部があり、"田舎がつまらない"や"地元には仕事がない"といった理由で、都心に若者が出ていきます。反対に農村部へ都心から移住する人はほとんどいないのが現状です。
地元で育った人だけも村では、その村の長の存在は絶対です。従わない人はそこにはいられません。同じことが地方の会社やさまざまな組織でもいえます。社長の考えに同調できなければ、その会社は居心地が悪く、長く勤めることは難しいでしょう。家庭においても同様のことはあります。たくさんの人が集まる場所では、色んな考えや文化を持った人が集まってくるので、それを同一化することは困難です。自然とそれぞれの違いを許容することが必要になってきます。
東京生まれの人は地方出身者に対して案外寛容です。地方出身者は地元ではないのですから、色んな文化や考え方に違いがあるのは当たり前として捉えているようです。反対に人の少ない場所では、同一化することが比較的容易で、極論そうでない人を排除すれば簡単に成立します。“郷にいれば郷に従え”という言葉は、田舎にいくほど耳にするものです。
東京一極集中といわれ、すでにかなりの年月が経ちますが、根本的に多様性を持った都市と排他的な地方という構造が変わらない限り、その格差はどんどん増すばかりです。つまり、多様性を持った社会はどんどん大きくなり、排他的な社会は淘汰されていくということです。過去に日本全体の人口が増え続けていた時代は、地方でも人口が増加する地域では多様性はあったのだと思いますが、人口減少が始まってからは、その格差が加速度的に広がりつつあります。
昔は、どんな小さな町や村にでも個人商店や地元のコミュニティーがありましたが、いずれも大資本の進出によって淘汰されたきました。今やどこの地方にもショッピングモール、セブンイレブンやドラッグストアなど、同じものがあります。地元で暮らす人にとっては便利になったものの、どこの町も同じ風景で、もはや地方の個性は失われたといっても過言ではありません。情報が少なかった時代には、自分たちで考える力がまだあったように感じます。少ない情報をもとに足りない部分は想像したり、なんとか工夫したり。それが個性にもつながっていたように思います。今は簡単に世界中の情報が手に入るので、どんな田舎に住んでいようと簡単に真似ることが可能です。
地方にも、まだ個人経営の小さなお店はいくつかありますが、その中身は東京などにあるビジネスやお店のコピーのようなものが多く、流行とともに多くは消えてしまいます。そのような街に東京や他の地方からわざわざ足を運ぶ人は少ないでしょうし、そんな町に住みたいと思う人はさらに少ないのでは。東京の人が地方のお店を真似るなんていうのは、あまり聞いたことがありませんが、反対のことはよく見かけます。このことが地方を衰退させている原因の一つであることはあまり認知されていないように思います。
東京は人が多い上に、さまざまな人が共存しているので趣味嗜好も千差万別。地方では受け入れられなかった人が、東京では同じような人や価値観を持った人に出会う可能性はあるように、ビジネスも地方では成り立たなかったようなニッチな店やサービスが数多く存在します。ニッチな店やサービスの中には、新しい価値観や文化を持ったものが存在し、それが後に新しい流行や文化を生み出すきっかけをつくることはよくあります。
また、ニューヨークや東京の例で共通しているのは、新しい文化が生まれるのは都心部から少し外れた場所です。1980年代のSOHO、2000年代のブルックリンは元々倉庫街で、人が集まる街に近い割に家賃が安く、クリエイターやアーティストらが小さなオフィスやアトリエを構えたりするのにちょうど良かったそうです。東京でも1980年代の代官山や、1990年代の裏原宿、その後の中目黒辺りは、少し似たような状況だったと思います。当初は大資本のチェーン店ではなく、個人経営の個性的な店舗ばかりです。いずれもそこで働く人を中心に新しいコミュニティができ、さまざまな文化が生まれていきました。
1980〜90年代のニューヨークでは、タイムズスクエア周辺の再開発によって、そこにあった風俗産業地帯が根こそぎ一掃。後に残ったのはスターバックス、マクドナルドなどの大型チェーン店ばかりで、人気のダイナーや小規模のカフェも無くなり、観光客向けの店だけが残りました。ちなみに1994年、ニューヨークのラファイエット・ストリートにオープンしたシュプリームも、当初は繁華街から少し外れた場所に店を構えました。少し行けば移民の多い町、ロウアー・イースト・サイド(当時の観光客向けの地図には立入禁止区域)です。当時は個性的な店がチラホラある程度で、地元の人以外はあまり行かないような場所だった印象です。しかし、その後のブランドと街の変化は周知の通りです。
重要なのは、さまざまな文化や価値観を持った個性的な人が集まる場所があること。そのためには、多様な人々を許容出来る文化や価値観を持った社会の存在です。個性的な人が集まる場所は刺激的で、そういったものを求める若い人には魅力的に映るはず。個性的な店や新しいビジネスは新しい文化を作り出す土壌となり、それが呼び水となり街を活性化させ、さらに人を集めるという好循環を生み出す。それには利便性や経済合理性だけでなく、人や企業、行政など、社会全体で"文化資本"といったものに、もっと着目する必要があるのだと思います。それぞれ単独での魅力や集客力は弱くても、いくつかの人や店がまとまると、その個性も相俟って相乗効果でより魅力的な街を構成します。地方活性化でまず大切なのは、もっと気軽にチャレンジが出来る環境と、色んな違いを持った人を受け入れる土壌をつくることではないでしょうか。

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